第６話　１杯のガソリンと１本の煙草

　冷たい空気が舞うこの盆地では、紅葉も枯葉となり地面に散らばり身体に 凍みるような寒い朝を迎えていた。
　この盆地から山へと向かう静かな峠道で、一台の赤いバイクがエンジン音 を響かせて走っていた。彼は早朝の寒い中、ほとんど車の通りが無いこの峠道 でバイクを寝かし込んで走っている。

　そして時間が過ぎ、太陽が上昇するに従って、早朝の冷込みが徐々に和ら いでいった。
　日が昇り人々が動き始める時間になると、彼は数回往復した峠を下りて街 中の国道まで戻った。そして煙を吹かして休んでいた。
　この国道の横には大きな川が流れ、人々が釣りをしている。
　その後、彼は街を離れ隣町へ向かう川沿いの国道を走り始めた。

　彼がしばらく国道を走っていると、道端で赤いバイクを押して歩いている ライダーがいた。そのライダーは背丈が小さい女性のライダーで、２５０ｃｃ らしきバイクが大きく見える。その大きく見えるバイクを必死に押して歩い ている。

　彼は何かおかしいと思い、その押して歩いているバイクの前で止まった。
　彼女は「ガス欠なんです！ガソリンスタンドまで押していこうと思って ・・・。でも日曜日だからやっているかな・・・。」と潤んだ目で言った。

　彼女は北陸地方の自分の家から、一週間くらいの休みで東京のボーイフレンド に会いに行くと言っている。凄い根性だ！
　そしてうっかりガソリンの事を忘れていて、ガソリンコックもリザーブの ままでガス欠になった。

　女の涙に弱い彼は何とかしてあげたいと思った。自分のバイクのガソリン がたくさん残っているので、何とか分けてあげたいと思った。
　そこで自分の荷物からキャンプ道具のカップを取り出して、自分のバイクの キャブレターからガソリンを抜いてカップに溜め始めた。

　しかしキャブレターから出るガソリンの量は極少量ずつで、カップに溜ま るにはかなりの時間がかかった。しばらくして一杯に溜まると、彼は彼女の バイクのガソリンタンクに一杯のガソリンを分け与えた。すると彼女のバイクの エンジンが始動した。
　「同じライダーに助けてもらってうれしいです。どうもありがとう・・・。」 彼女はまた目を潤わせていた。

　彼はやっと一息ついたと思い、ポケットから煙草を取り出そうとしたが 切らしていた。何か一仕事をした後に吸ういっぷくほどおいしい物は ない。
　以前戦争映画を見た時に、空軍の兵士が命懸けの戦いを終えて戦闘機で帰 ってくる時に、いっぷくするシーンを見て本当にうまそうだと思った。

　彼女を見るとポケットから煙草を出して、彼女もいっぷくしようとしてい る。そこで彼は「煙草切らしてて・・・。１本もらえますか？」と言うと、 彼女は一瞬戸惑ってから「あっ！これどうぞ」と自分が吸おうとしていた煙 草を彼に差し出した。彼女も煙草を１本しか持っていなかったようだ。
　彼は彼女に悪いと思い「１本しか持ってないんだったらいいですよ。僕は 大丈夫ですから・・・。」と言うが、彼女は彼に煙草を渡そうとしている。
　バイクが止まって一仕事した後だからお互いにいっぷくしたいに違いない。

　彼は彼女からもらった煙草に火をつけていっぷくすると、自分が吸った 煙草を彼女に渡した。彼女が嬉しそうにいっぷくすると、今度は彼に渡した。
　こうして１本の煙草を彼と彼女は交互に吸った。

　煙草の火が消えると、彼女は再びバイクのエンジンを始動させて 「このいっぷく凄くおいしかった！本当にありがとう。」と言い残して 走り去った。

　彼はこの１本のあま〜いいっぷくに少しほろ酔いになりながらバイクの キーを回した。
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